The dogs bark, but the caravan goes on

怪文書置き場

おは呪詛ー♪ 月刊現代黒魔術の時間だよー☆ 現代黒魔術は「精神療法と真逆のことをやれば、人間のメンタルを破壊できる」というコンセプトに基づいた実践的な魔術体系だよ。相手の認知を歪めて、非合理的な思考に自然と導いていくことで他人の人生を台無しにできる! 最終的には認知を歪めまくり、自分自身に呪詛を向けるようになれば現代黒魔術は完成するよ。自己を否定するようになった人間は、自ずと他者にもネガティブな感情を向けるようになって黒魔術が疫病のように社会に広がっていくんだ! 呪術パンデミックだね! 今日は「微かな毒で蝕んでいく優しさ」を学んでいくよ。 相手の身を案じる優しい態度を取りつつ、「あなたは私がいないと駄目になる」と自己否定感を植え付けていく黒魔術だよ。表面的に優しくするついでに、ジャブを打ってじわじわと体力を奪っていくように相手の自己肯定感や自信を削っていくのがポイントだよ。DV男や毒親がよくやる手法だね! 反復練習を繰り返して、息を吐くように自然に、歪んだ思考を無意識にすり込んでいこう! 黒魔術の本質は人を呪わば穴二つ。誰かの不幸を願えば、それが自分にも跳ね返ってくる。でも自分が地獄に落ちようとも、こいつが幸せになることだけは絶対に許せねえ!!!!!そんな気持ちになるときも人生には多々あるよね。 月刊現代黒魔術2024年4月号のテキストに詳しい解説と練習問題が掲載されているから、こっちで繰り返し復習して基礎的な呪詛力を身につけよう! 次回の月刊現代黒魔術は「人の思考を0か100かに誘導する」、「根拠のない〝こうあるべき価値観〟をでっち上げる」の二本立てだよ!

放送開始していたのに気がつかなくて途中から観た。VRが実写パートであるという懸念があったが、ナオキの感情がしっかり描かれていて好感度が高い。VRをメインに据えるのではなくて、現実とおじさんの解像度を上げることによって作品世界に引き込んでいくスタイルだ。 人と人とが近づいていくことで生まれる、自分でも知らなかった感情。おれにはほなみが眩しすぎる。その光に憧れる一方で自分自身の影が、嫌な部分が濃くなっていく。だから、これ以上傷つかないように距離を取ろうとする。 4話しか観ていないんだけど、「わかる……わかるよ……その気持ち……」と思ってしまうぐらいには、良い具合に原作の良さを活かしつつ映像向けにアレンジしている。これはVR「おじさん」の初恋なので、おじさん部分の描写に力を入れるのは映像媒体の強みを活かした選択だ。

次の日、一週間分の再放送がやっているので視聴した。 メタバースへの理解の解像度が高く、実写でありながらもVRらしさを感じる演出をしている。人のいないお祭りワールド、チョコバナナ、花火のパーティクルその他諸々の、VR特有の雰囲気が上手く表現されている。実写なのに「VRChatでこのワールドにおれは行ったことがある」と既視感を抱いてしまった。 実写化の出来を懸念していたけれども、上手く映像に落とし込んでいるし原作にない部分の補完もいい。四話のときと同じだけど、「わかる」んだよね。この世界も雰囲気も感情、登場人物の反応の何もかもを、おれは知っているんだ。 問題があるとすれば家族に「あんたもVRでこんなことやってるん?」と聞かれたときにどう答えたらいいか迷うところだ。それはその、うん……。そうだね……。あのときはメンタル死んでたね……としか言いようがない。

星座になれたらと壱雫空とヒロメネスとフレンドパスワードを連続で聞いていて、脳内で同時再生しているような状態にいる。

具体的に言うとマシマヒメコ目線で星座になれたらを聞いている。その中で、歌詞の中にある星、傘、雨、孤独などのフレーズがゆるやかに繋がり始め、「非実在美少女バンドクソデカ感情星座体系」とでも呼ぶべき何かが、夜空に浮かび上がる。 「この歌詞の〝君〟はぼっちちゃんのことで、〝僕〟はほわんの視点を表しているんですよ」みたいにロジックで歌詞を解釈しようとするな。言葉を聞いたときに浮かび上がってきたもの……星座の名前を知る前だったころのような何かを感じるんだ。 言葉と論理で伝えられるようなものであればわざわざ歌にする必要がない。文章にすればいいだけだ。そこに言葉では掬い取れないもの、既存の言語では取りこぼしてしまうものがあるから、おれたちは非実在美少女バンドソングを必要とする。 ヒロメネスはさ、君と僕の関係性、過去と未来、幻想と現実、すべてをごちゃまぜにして安易な解釈を許さない作りになっているの好きだよ。〝君〟はほわんでありヒメコでありデルミンでありルフユであり、〝僕〟もまた同様で、〝君〟にどんな強い感情を乗せられるかだ。ちなみにヒロメネスはぼっちちゃんと喜多ちゃんでも、ひろがるスカイ!プリキュアでも成り立つ。 「光集めて歌えば、今だけは僕も君が追いかけるようなヒーローになれるの?」はギターヒーローの話だ。 「左手に傘、右手に花」という歌詞も、過去(※左は過去の象徴だ)や雨というネガティブなモチーフの中に「ヒメコがほわんに傘を差し出す」という優しさがあり、花は綺麗だけれどもいつか枯れるかもしれない不確実さがある。ほわんは物理的な雨に打たれていたけれども、ヒメコは〝人と深く関わらない〟という概念の雨の中で心が冷たくなっていて、それに傘を差しだしたのがほわんなんだ。ちなみに歌詞では「左手に傘」なんだけど、2話のヒメコは未来を象徴する右手に傘を持っていて、この辺でおれの感情が限界を突破した。 ここ最近は非実在美少女バンドとか非実在美少女アイドルグループの曲しか聴いていないとは薄々感じていたが、魂の震動でぶん殴るのが音楽だ。女児向けアイドルアニメが、ライブシーンでクソデカ感情を直接叩き付ける魔術を生み出した。百合豚の情緒を破壊する魔法。おれの信じるお前を信じろ。幾千、幾億の言葉を尽くしても伝わらないものを、星や雨に託して歌う。届かない月に手を伸ばしたくなるような夜。僕と世界を隔てる、薄くて透明で何よりも堅い膜。これ以上、苦しまなくてもいいように選ぶ拒絶。傷ついても構わないと思って絡めた指先。 なんかもう自分の情緒を「!!!!」みたいな感嘆符で表現できなくなってきたので今日はこの辺にしておいてやるぜ。でも確かこの文章、サンリオVfesの感想のはずだったよな……?

「認知が歪んでいるから、今の自分はこういう思考になっている」という話をしていた。「おれはもうダメだ……」などの白黒思考モードになると、判断にリソースを使わなくてもいいので楽なんだよな。思考の解像度を上げるエネルギーがないときは、より簡便な結論に飛びつく。 認知が歪んでいる状態は苦しいのだけど、これ以上、考えなくてもいい安楽を提供してくれる。「おれはもうダメだ……」って言っていればいい。 周期的に「おれはもうダメだ……」モードが襲ってくるし、実際にダメなところはダメなんだろう。こういうときには、心の中にいるモヒカンのチンピラ山賊が「ヒャァーッ!ダメならダメなりになんとかやって行くんだよぉ! おれたちクズは、奪いたいときに奪い、犯したいときに犯し、殺したいときに殺すぐらいがちょうどいいんだぜっ! エンジョイ&エキサイティング!」と励ましてくれる。 それもある意味で認知が変な方向に歪んでいるのかも知れないが、おれはもうダメだ……と膝を抱えてうずくまっているよりかは好ましいのだろう。

SNSで日々放たれるお気持ちを真正面から受け止めるのは、メンタルを硬質化していても危険だ。ダメージが蓄積しないように斜めの角度で弾くか、スルーする。 決して炎上に巻き込まれたり、反論して火種にガソリンを注ぎ込んだりしてはいけない。お気持ちが新しいお気持ちを生み、それがまた次のお気持ちを連鎖的に生み出していくお気持ち臨界事故になる。 「また燃えてるねー」と観測者に徹し、メンタルの平穏を保つ術を確立するか、あらゆる情報を無視してしまったほうが精神衛生的にはいい。それは分かっているんだが、心のどこかでお気持ちバトルを望んでいる自分がいることも否定できない。 SNSでのお気持ち表明はヤンキーマンガの喧嘩ぐらいありふれたものだから、逆に「決めようぜ!〝最強〟をよぉ!?」ぐらいのノリで殴り合ったほうがいいのかも知れないな。いや、関わり合いにならないのが一番なんだけど……。

鳥山明先生の訃報を知ってからしばらくして、自分の至る所に鳥山先生の世界観や仕事が入り込んでいることに気がつく。ドラゴンボールは言うに及ばず、始めてプレイしたRPGはドラゴンクエストだし、クロノトリガーはゲーム会社の枠組みを超えたドリームタッグだった。クロノトリガーの様々な時代の世界観を描き分けられるの、いま考えると本当にすごいよね。 ドラクエのスライムも何をどう考えたら、あの丸っこいフォルムになるのかわからん。でもレベル1の時にスライムに囲まれたら死ぬぐらいには強い。 どこかコミカルでデフォルメされているんだけど、ドット絵という制約で〝モンスターの怖さ〟を表現している。本質を端的かつシンプルに表現する画力とデザイン力、西洋ファンタジーを翻案するセンス。空気と同じぐらい自然に鳥山ワールドがそばにあって、その中で育った。影響を与えられていることに自覚するのが難しいぐらいに、自然に、鳥山明は日本的ファンタジーの地盤になっていて、なろう系ファンタジーや葬送のフリーレンも、ポケットモンスターも、鳥山的なものの影響を受けている。創作という行為に取り組む度に、鳥山的なものに向き合う。 自分はR.I.Pとかご冥福をお祈りしますといった定型句で済ませてしまうのが苦手だ。喪に服する代わりに、今日は自分の内側にある「鳥山明が遺したもの」を見つめることにする。

ここ最近、読んでいる漫画の感想とかメモとか

・龍と苺、今週号についての判断は保留とさせてください。今後の展開を読まないと何も分からないが、「おれは夢か何かを見ているか?」レベルの超展開で、どう受け止めたらいいのか困惑している。 ・『バーナード嬢曰く。』で「胃に流動食を直接流し込むような感じで、心を無にしてひたすら異世界チートなろう小説を読んでいる」という話があったが、あれにはジャンク的な気持ち良さがある。 チート、転生、S級冒険者、ギルド、美少女等々の概念で脳を飽和させるオーバードーズ感。 ・シメジ シミュレーションを遅々とした速度で読んでいる。一話読んで、すぐに次の話に行くのではなくて「思考が働かなくなるまで穴を掘りたいよなぁ……」と思いを巡らせたくなるし、一コマを10分ぐらい眺めながら作品内で流れている時間軸に身を委ねたりしているので一気読みができない。 理解不能な異物として、他者や世界が立ち上がってくる瞬間の肌触り。そういったものを咀嚼して、飲み込んで、消化していく。他人の価値観を完全に理解することはできないけれども、そのプロセスを経るというタイプのコミュニケーションについて。 他者を理解するのは、円周率を絶えず計算し続ける行為に近い。近似値は出せる。3と3.14と3.141の違い。あるいは四捨五入して0だな!という雑な他者理解をする人もいる。 「そういえば」を起点として始まる終わりのない言葉の群れ。作品に関係ないことないことまで連鎖反応的に引き出されるような、なんかこう……思考の穴を掘っている間に何かべつのものが見つかって、それについて話をしている間に別の話題に移っていくような、そんな肌触りの作品なんだ。

対人関係やコミュニケーション技術系の本には、「こういう言動を心掛ければ人から好感を得られますよ」というテクニックについて書かれているのだけど、「それって人心を操作して自分にとって好ましい反応を得ようとしているだけではないのか?」と思い悩む時期があった。 おジャ魔女どれみで言うところの「人の心を操る魔法」は禁忌である。自らの欲求を満たすための道具として他者を扱うのなら、詐欺師が信頼を得る方法と変わりがない。女児向けアニメで提示された価値観を人間関係の根本に据えているので、ニチアサはおれにとっての思想と宗教であるのは論を俟たないことだ。 反対に、他者の願望を都合良く満たす道具になる危険性もある。人から好かれるためには聞き上手になりましょう。それは一面では真実ではあるのだが、相手が欲しがっているコミュニケーションや言葉を投げかけて、相手の言葉を一方的に投げつけられるだけのぬいぐるみになる。それでもお前は必要とされるのかも知れないけれども、「都合のいいぬいぐるみ」としてのロールしか求められていない。 人の心を操る魔法も、都合のいいぬいぐるみも、対等なコミュニケーションではない。おれはお前の期待を答えるため生きているわけではないし、お前もおれの欲望を充足する道具ではない。でも期待に応えられる部分があるのなら嬉しいし、何かできることがあるならできる範囲で力を貸す。それでいい感じにバランスを保った関係になるなら、それがいーじゃん! ここまで書いていて、これはゲシュタルトの祈りだなと気付く。

「わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。 わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。 私は私。あなたはあなた。 もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。 しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ」

「ガザ〜私たちは何を目撃しているのか〜」を最後まで観てた。 私たち(Us)とあいつら(Them)の境界線はあいまいで、昨日まで「私たち」だったものが今日から「あいつら」になったりする。おれの中では、石川県の被災者とホームレス、パレスチナ人その他70億人以上の人間が「会ったことも話もしたこともない人間」なんだけど、UsとThemの間に境界線を定めるための理路がどこにあるのかわからねえ。 地球の裏側の人間にも共感して涙を流せるし、ホームレスに自己責任と言い放って見殺しにできる。 そんなことを考えながらひろがるスカイ!プリキュア 49話を視聴していた。 今日のプリキュア、たった数分でいまの全人類が必要としているものを描ききってしまったぞ……! 大切な誰かを助けるために人は闇を欲してしまう。最初はただ目の前の人を救いたかっただけなのに、力に飲み込まれてアンダーグエナジーの器になる。ヒーローと邪悪は近しい位置にある。強い正義感を持っているからこそ、より深い闇に堕ちていく。 おれにはわかるんだ。ましろさんを助けるためならどんな代償だって払う。たとえそれが闇に手を染めることでも。理性ではダメだと分かっていても、心が、魂が、暗い力を欲してしまう。船底に空いた亀裂から海水が染み込むように、心臓に空いた絶望にアンダーグエナジーが満ちる。そしてそれは今まで感じたことがない全能感だった。弱い私を塗りつぶしてくれる、圧倒的な暴力。この力があればもう絶望することも、弱さにうちひしがれることもない。理性では拒絶しながらも、強大な力にソラは陶酔していく。憎いあんちくしょうをぶん殴ったとき、ソラは絶対に気持ち良かったと思うんだよ。 それが闇だからだ。くらやみはおれたちの人間性を貪って、圧倒的な全能感を与えてくれる。他人の命を踏みにじれるほどの力と引き替えに、非人間的なものへと作り変えられる。 だが人間が人間に向ける眼差しだけが、握りしめられた拳を解きほぐす。言葉でも正義でもなく、人間を見る眼差しだけにしか持ち得ない力がある。それを今期のプリキュアは完全に表現した。

・諸々の事情でメンタルが死んでいた。精神科医に「冬から春先に掛けてがっつりメンタル崩れがちになるので、頓服で飲める安定剤を増やしてくれ」と言って、お薬のストックを増やしてもらっていたおれ、神童! 令和の孔明! ・それに伴い暗黒思考モードに入った。これは論理を突き詰めていくと「じゃあ、今すぐ死んだ方がコスパ最高ってコト?」という結論に至るタイプの思考だ。いつもは生きる意味とか人としての価値とか深く考えない。冷静に考えると「全ては塵となりて消え失せる。おまえもいつか無になる。おまえにもこの世界には何の意味もない」という深淵を覗き込んでしまうからだ。 今日のおれはこの深淵とガチ恋距離で見つめ合っていた。いつか誰かが「鬱病は理性である」と言った。享楽と多忙で深く考える思考を麻痺させることで、おれたちはこの深淵を覗き込まないでいる。ストロング・ゼロを飲んで脳を麻痺させている間は、悩めるほど思考が動かなくなる。 ・「うるせええっ!おれは人間のくずだ!」と言って、おれは深淵にガソリンを流し込んで火を放った。問題の解決にはなってくれないけれども、狂気と非合理はおれを救ってくれる。どこか頭のネジを外していないと生きられない自信がある。真人間に比べると欠落しかない。それは精神的な欠落だ。人生経験も年相応では無いし、精神的に未熟だし(自身に対する駄目出しが無限に続く)。普段は義手と義足でぎりぎり人間っぽい体裁を整えているものの、ふとした弾みで「おまえはかたわだ」という実感を突きつけられる。 ・「あたまがおかしくなる」というのは生き延びる上で最適なソリューションでは?と思い始める。ちょっとアレなタイプの思想や教義に傾倒したり、陰謀論に染まったり、熱中できるものを見つけたりすることで、狂気を己のうちで育む。そこまでストロング狂気を常用していなくても、アルコール3%ぐらいの軽い狂気を飼い慣らすことでおれたちは深淵から距離を置く。 こうやって文章を書いているのも深淵から逃れるためのプロセスなんだろうな。