ダイエットのため、夜にあまり高カロリーなものを摂らないという理想を掲げている。しかし、日が暮れてくるとなぜか、こってりした料理や肉類を食べたくなってしまう。実際、この理想が叶ったことはほとんどない。  今日もいつものように、肉料理を食べたくなってしまった。以前吉野家の前を通りかかった時に見た、唐揚げを宣伝する垂れ幕を思い出す。牛丼屋の、決して主役ではない唐揚げということで、どういった味わいなのか気にかかるところもあるが、巨大に印刷された唐揚げはやたら旨そうに見えた。

 夕日が隠れてきた頃、家を出て吉野家へ向かった。店の前には、やはりあの垂れ幕が掲げられていた。内容をよく見ると、唐揚げ丼というものもラインナップされている。唐揚げ単品では1個108円、税込118円のようだ。  いくつ買おうか迷いながら入店し、テイクアウト注文用の端末を操作する。メニューの中にからあげ3個セットというボタンを見つけ、これだ、と思って注文する。  注文を受けてから揚げているらしく、店員が時間のかかることを説明した。店内のソファで少々待機し、3個セットは得になるのだろうか、などと思って苦手な暗算をやっているうちに唐揚げが仕上がった。セットが得になるのかは分からなかった。

 会計を済ませ店を出る。辺りはすっかり暗くなり、垂れ幕の文字もよく読めない。  歩いている間、自分の手元から、唐揚げの香ばしく旨い香りが漂う。信号待ちに猛スピードの車たちを眺めながら、もし今車に轢き逃げされて死んだら唐揚げはどうなるだろう、と考えた。  警察がやってきて、現場検証をしながら、まだ温かい、と言うのだろうか。私の体温ではなく、道路に転がった唐揚げに対して言うとしたら、少し面白い。けれど死にたくはない。それはこの唐揚げになった鶏も、同じ気持ちだったろう。それにしても、鶏の屠殺とはどのようなものなのだろうか……そんなことを脈絡もなく考えながら帰宅した。

 ちなみに私は、脈絡のない思考が一瞬たりとも止まない性質を治療している。  それは今日も特に変わらないし、いわゆる「高熱の悪夢」じみた思考が延々と続いているが、人生の初めからそうなので特に困ることはない。  ただ、ひとよりも神経質で疲れている。視野にはノイズが常に見えている。まだ全然食べることのできるおかずの、ほんの少し傷み始めた味に気づく。毎日何もしていなくても刺激と情報に疲れている状態らしい。自分では、そういう体質なので適当に毎日過ごしていこうと考えている。  適当に過ごさせてくれる両親には、感謝と申し訳なさが募っている。いずれ己ひとりで生きて行ける環境を構築し、自立せねばならない。

 帰宅して、食卓に豆ご飯とたくあん、作り置きの豚汁を用意し、吉野家の唐揚げを皿に盛った。  吉野家の唐揚げは、スーパーの惣菜やほっともっとの弁当のものと比べると、大ぶりなものだった。衣は固くよく揚がっており、好みの食感をしている。鶏肉は全くパサついていない。垂れ幕に「ジューシー」の謳い文句があったことを思い出す。  味付けは塩気が強く、にんにくや生姜などの薬味の香りはあまりしない。味が濃いめなので、ご飯が進んだ。しかし、親の好みで柔く炊かれた豆ご飯が唐揚げにマッチせず、少々惜しく感じる。  唐揚げと豆ご飯を頂き、豚汁を飲み、たくあんを齧りしながら、夕食を終えた。最近は食事でダイエットをすることを諦めかけていて、そのかわり、毎日15分間ユーロビートを流しながら踊っている。食後の腹が落ち着いたら、また踊らなくてはならない。