インターネットバトンという若者文化
もしかしたら40代後半以上の方々は通称「バトン」という若者文化を知らないかも知れない。
なんて事はないいわゆるテーマに沿ったお題に応じて次のユーザ、次のユーザへと渡していくという一種の大喜利・山の手線ゲーム的なものだ。
これがインターネットに登場したと確定的に言えるのは「チェーンメール」ブーム以降で、この文化形成へ寄与したのは現在の30代後半〜40代前半だろう。
「不幸のメール」なんてものを懐かしむ人は比較的多いのでは無いかと思う。
それ以前からBBSやチャットなどで大喜利をやっていたような気がしなくも無いが、一般的に普及したのはチェーンメールと見て良いはず。
祖を辿れば文通や和歌?
「不幸のメール」でピンと来た人も居るかも知れないが、インターネット以前の昭和40年頃に「不幸の手紙」ブームがあり、更にそれの祖を辿れば大正時代に「幸福の手紙」がある。
こういった形式の連鎖する遊びの祖を探れば、拙い知識から導き出されるのは、和歌の上の句に続いて下の句を返す「連歌」ではないか?と考えている。
そもそも和歌の歌会ではお題を設けて詠むことが通例なので、歌会の中で連作していくこと自体が祖と言えば祖なのかも知れない。
バトンが必須な若者コミュニティ
何故いきなりこんな話をしはじめたか?と言えば、このインターネットバトンは現在でも続いているからだ。
現在の若者はTwitterで、LINEで、Instagramで、TikTokでインターネットバトンを続けている。
自分自身の記憶を掘り返しても10代の頃はよく友人から送られてくるバトンを回し続けていたなという思い出があり、冷静に考えると「若者コミュニティにはバトンが必須なのではないか?」と思うようになってきた。
インターネットバトン以外にもクラスメイトの女の子がよく手紙でそういうバトンのようなものを回しており、数はそう多くは無いが自分にも届いたことがあるなという記憶も薄くある。
そう考えるとTwitterのハッシュタグも「付箋」というよりは「お題」と捉え、何故日本のインターネットコミュニティへ広く受け入れられたのか?がわかるような気がしなくもない。
若者ウケを狙うならバトンをしやすくする?
「若者コミュニティにはバトンが必須なのではないか?」という点を考えると、逆説的に「若者ウケを狙うにはインターネットバトンをしやすくする環境を提供するのが近道なのではないか?」という推測が立つ。
InstagramやTikTokが大人が気付かないうちに10代の若者の中で爆発的に普及し、気付いてみれば若者はみんな使っているという状況が生まれる背景には、もしかしたら「バトンは大人に届かないからではないか?」がある。そんな気がしてならない。
「不幸の手紙」であれ「チェーンメール」であれ気付けば若者はみんな知っていて、若者へ普及しきった段階で大人社会はその存在に気付いて問題視する。
現在世界的に問題視されている「青い鯨」もまた(その地域や特定のコミュニティに所属する)若者はみんな知っていて、その段階でやっと大人社会はそれに気付くのだ。
恐ろしい例を引き合いに出してしまったが、インターネットバトンは若者コミュニティのインフラ形態である可能性が高い。
そのインフラを意図的に整備することによって若者を呼び込めることが可能性として存在する。
何らかの「お題」を設け、それを友人へ渡したいと思わせる。それがきっと若者コミュニティのインフラなのだ。