・非実在美少女バンドクソデカ感情星座体系

星座になれたらと壱雫空とヒロメネスとフレンドパスワードを連続で聞いていて、脳内で同時再生しているような状態にいる。

具体的に言うとマシマヒメコ目線で星座になれたらを聞いている。その中で、歌詞の中にある星、傘、雨、孤独などのフレーズがゆるやかに繋がり始め、「非実在美少女バンドクソデカ感情星座体系」とでも呼ぶべき何かが、夜空に浮かび上がる。 「この歌詞の〝君〟はぼっちちゃんのことで、〝僕〟はほわんの視点を表しているんですよ」みたいにロジックで歌詞を解釈しようとするな。言葉を聞いたときに浮かび上がってきたもの……星座の名前を知る前だったころのような何かを感じるんだ。 言葉と論理で伝えられるようなものであればわざわざ歌にする必要がない。文章にすればいいだけだ。そこに言葉では掬い取れないもの、既存の言語では取りこぼしてしまうものがあるから、おれたちは非実在美少女バンドソングを必要とする。 ヒロメネスはさ、君と僕の関係性、過去と未来、幻想と現実、すべてをごちゃまぜにして安易な解釈を許さない作りになっているの好きだよ。〝君〟はほわんでありヒメコでありデルミンでありルフユであり、〝僕〟もまた同様で、〝君〟にどんな強い感情を乗せられるかだ。ちなみにヒロメネスはぼっちちゃんと喜多ちゃんでも、ひろがるスカイ!プリキュアでも成り立つ。 「光集めて歌えば、今だけは僕も君が追いかけるようなヒーローになれるの?」はギターヒーローの話だ。 「左手に傘、右手に花」という歌詞も、過去(※左は過去の象徴だ)や雨というネガティブなモチーフの中に「ヒメコがほわんに傘を差し出す」という優しさがあり、花は綺麗だけれどもいつか枯れるかもしれない不確実さがある。ほわんは物理的な雨に打たれていたけれども、ヒメコは〝人と深く関わらない〟という概念の雨の中で心が冷たくなっていて、それに傘を差しだしたのがほわんなんだ。ちなみに歌詞では「左手に傘」なんだけど、2話のヒメコは未来を象徴する右手に傘を持っていて、この辺でおれの感情が限界を突破した。 ここ最近は非実在美少女バンドとか非実在美少女アイドルグループの曲しか聴いていないとは薄々感じていたが、魂の震動でぶん殴るのが音楽だ。女児向けアイドルアニメが、ライブシーンでクソデカ感情を直接叩き付ける魔術を生み出した。百合豚の情緒を破壊する魔法。おれの信じるお前を信じろ。幾千、幾億の言葉を尽くしても伝わらないものを、星や雨に託して歌う。届かない月に手を伸ばしたくなるような夜。僕と世界を隔てる、薄くて透明で何よりも堅い膜。これ以上、苦しまなくてもいいように選ぶ拒絶。傷ついても構わないと思って絡めた指先。 なんかもう自分の情緒を「!!!!」みたいな感嘆符で表現できなくなってきたので今日はこの辺にしておいてやるぜ。でも確かこの文章、サンリオVfesの感想のはずだったよな……?