・「人の心を操る魔法」と、都合のいいぬいぐるみについて。

対人関係やコミュニケーション技術系の本には、「こういう言動を心掛ければ人から好感を得られますよ」というテクニックについて書かれているのだけど、「それって人心を操作して自分にとって好ましい反応を得ようとしているだけではないのか?」と思い悩む時期があった。 おジャ魔女どれみで言うところの「人の心を操る魔法」は禁忌である。自らの欲求を満たすための道具として他者を扱うのなら、詐欺師が信頼を得る方法と変わりがない。女児向けアニメで提示された価値観を人間関係の根本に据えているので、ニチアサはおれにとっての思想と宗教であるのは論を俟たないことだ。 反対に、他者の願望を都合良く満たす道具になる危険性もある。人から好かれるためには聞き上手になりましょう。それは一面では真実ではあるのだが、相手が欲しがっているコミュニケーションや言葉を投げかけて、相手の言葉を一方的に投げつけられるだけのぬいぐるみになる。それでもお前は必要とされるのかも知れないけれども、「都合のいいぬいぐるみ」としてのロールしか求められていない。 人の心を操る魔法も、都合のいいぬいぐるみも、対等なコミュニケーションではない。おれはお前の期待を答えるため生きているわけではないし、お前もおれの欲望を充足する道具ではない。でも期待に応えられる部分があるのなら嬉しいし、何かできることがあるならできる範囲で力を貸す。それでいい感じにバランスを保った関係になるなら、それがいーじゃん! ここまで書いていて、これはゲシュタルトの祈りだなと気付く。

「わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。 わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。 私は私。あなたはあなた。 もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。 しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ」