The dogs bark, but the caravan goes on

怪文書置き場

ここ最近、読んでいる漫画の感想とかメモとか

・龍と苺、今週号についての判断は保留とさせてください。今後の展開を読まないと何も分からないが、「おれは夢か何かを見ているか?」レベルの超展開で、どう受け止めたらいいのか困惑している。 ・『バーナード嬢曰く。』で「胃に流動食を直接流し込むような感じで、心を無にしてひたすら異世界チートなろう小説を読んでいる」という話があったが、あれにはジャンク的な気持ち良さがある。 チート、転生、S級冒険者、ギルド、美少女等々の概念で脳を飽和させるオーバードーズ感。 ・シメジ シミュレーションを遅々とした速度で読んでいる。一話読んで、すぐに次の話に行くのではなくて「思考が働かなくなるまで穴を掘りたいよなぁ……」と思いを巡らせたくなるし、一コマを10分ぐらい眺めながら作品内で流れている時間軸に身を委ねたりしているので一気読みができない。 理解不能な異物として、他者や世界が立ち上がってくる瞬間の肌触り。そういったものを咀嚼して、飲み込んで、消化していく。他人の価値観を完全に理解することはできないけれども、そのプロセスを経るというタイプのコミュニケーションについて。 他者を理解するのは、円周率を絶えず計算し続ける行為に近い。近似値は出せる。3と3.14と3.141の違い。あるいは四捨五入して0だな!という雑な他者理解をする人もいる。 「そういえば」を起点として始まる終わりのない言葉の群れ。作品に関係ないことないことまで連鎖反応的に引き出されるような、なんかこう……思考の穴を掘っている間に何かべつのものが見つかって、それについて話をしている間に別の話題に移っていくような、そんな肌触りの作品なんだ。

対人関係やコミュニケーション技術系の本には、「こういう言動を心掛ければ人から好感を得られますよ」というテクニックについて書かれているのだけど、「それって人心を操作して自分にとって好ましい反応を得ようとしているだけではないのか?」と思い悩む時期があった。 おジャ魔女どれみで言うところの「人の心を操る魔法」は禁忌である。自らの欲求を満たすための道具として他者を扱うのなら、詐欺師が信頼を得る方法と変わりがない。女児向けアニメで提示された価値観を人間関係の根本に据えているので、ニチアサはおれにとっての思想と宗教であるのは論を俟たないことだ。 反対に、他者の願望を都合良く満たす道具になる危険性もある。人から好かれるためには聞き上手になりましょう。それは一面では真実ではあるのだが、相手が欲しがっているコミュニケーションや言葉を投げかけて、相手の言葉を一方的に投げつけられるだけのぬいぐるみになる。それでもお前は必要とされるのかも知れないけれども、「都合のいいぬいぐるみ」としてのロールしか求められていない。 人の心を操る魔法も、都合のいいぬいぐるみも、対等なコミュニケーションではない。おれはお前の期待を答えるため生きているわけではないし、お前もおれの欲望を充足する道具ではない。でも期待に応えられる部分があるのなら嬉しいし、何かできることがあるならできる範囲で力を貸す。それでいい感じにバランスを保った関係になるなら、それがいーじゃん! ここまで書いていて、これはゲシュタルトの祈りだなと気付く。

「わたしはわたしの人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。 わたしはあなたの期待にこたえるために生きているのではないし、あなたもわたしの期待にこたえるために生きているのではない。 私は私。あなたはあなた。 もし縁があって、私たちが互いに出会えるならそれは素晴らしいことだ。 しかし出会えないのであれれば、それも仕方のないことだ」

「ガザ〜私たちは何を目撃しているのか〜」を最後まで観てた。 私たち(Us)とあいつら(Them)の境界線はあいまいで、昨日まで「私たち」だったものが今日から「あいつら」になったりする。おれの中では、石川県の被災者とホームレス、パレスチナ人その他70億人以上の人間が「会ったことも話もしたこともない人間」なんだけど、UsとThemの間に境界線を定めるための理路がどこにあるのかわからねえ。 地球の裏側の人間にも共感して涙を流せるし、ホームレスに自己責任と言い放って見殺しにできる。 そんなことを考えながらひろがるスカイ!プリキュア 49話を視聴していた。 今日のプリキュア、たった数分でいまの全人類が必要としているものを描ききってしまったぞ……! 大切な誰かを助けるために人は闇を欲してしまう。最初はただ目の前の人を救いたかっただけなのに、力に飲み込まれてアンダーグエナジーの器になる。ヒーローと邪悪は近しい位置にある。強い正義感を持っているからこそ、より深い闇に堕ちていく。 おれにはわかるんだ。ましろさんを助けるためならどんな代償だって払う。たとえそれが闇に手を染めることでも。理性ではダメだと分かっていても、心が、魂が、暗い力を欲してしまう。船底に空いた亀裂から海水が染み込むように、心臓に空いた絶望にアンダーグエナジーが満ちる。そしてそれは今まで感じたことがない全能感だった。弱い私を塗りつぶしてくれる、圧倒的な暴力。この力があればもう絶望することも、弱さにうちひしがれることもない。理性では拒絶しながらも、強大な力にソラは陶酔していく。憎いあんちくしょうをぶん殴ったとき、ソラは絶対に気持ち良かったと思うんだよ。 それが闇だからだ。くらやみはおれたちの人間性を貪って、圧倒的な全能感を与えてくれる。他人の命を踏みにじれるほどの力と引き替えに、非人間的なものへと作り変えられる。 だが人間が人間に向ける眼差しだけが、握りしめられた拳を解きほぐす。言葉でも正義でもなく、人間を見る眼差しだけにしか持ち得ない力がある。それを今期のプリキュアは完全に表現した。

・諸々の事情でメンタルが死んでいた。精神科医に「冬から春先に掛けてがっつりメンタル崩れがちになるので、頓服で飲める安定剤を増やしてくれ」と言って、お薬のストックを増やしてもらっていたおれ、神童! 令和の孔明! ・それに伴い暗黒思考モードに入った。これは論理を突き詰めていくと「じゃあ、今すぐ死んだ方がコスパ最高ってコト?」という結論に至るタイプの思考だ。いつもは生きる意味とか人としての価値とか深く考えない。冷静に考えると「全ては塵となりて消え失せる。おまえもいつか無になる。おまえにもこの世界には何の意味もない」という深淵を覗き込んでしまうからだ。 今日のおれはこの深淵とガチ恋距離で見つめ合っていた。いつか誰かが「鬱病は理性である」と言った。享楽と多忙で深く考える思考を麻痺させることで、おれたちはこの深淵を覗き込まないでいる。ストロング・ゼロを飲んで脳を麻痺させている間は、悩めるほど思考が動かなくなる。 ・「うるせええっ!おれは人間のくずだ!」と言って、おれは深淵にガソリンを流し込んで火を放った。問題の解決にはなってくれないけれども、狂気と非合理はおれを救ってくれる。どこか頭のネジを外していないと生きられない自信がある。真人間に比べると欠落しかない。それは精神的な欠落だ。人生経験も年相応では無いし、精神的に未熟だし(自身に対する駄目出しが無限に続く)。普段は義手と義足でぎりぎり人間っぽい体裁を整えているものの、ふとした弾みで「おまえはかたわだ」という実感を突きつけられる。 ・「あたまがおかしくなる」というのは生き延びる上で最適なソリューションでは?と思い始める。ちょっとアレなタイプの思想や教義に傾倒したり、陰謀論に染まったり、熱中できるものを見つけたりすることで、狂気を己のうちで育む。そこまでストロング狂気を常用していなくても、アルコール3%ぐらいの軽い狂気を飼い慣らすことでおれたちは深淵から距離を置く。 こうやって文章を書いているのも深淵から逃れるためのプロセスなんだろうな。

・親父は殺人ザメ養殖業を営んでいた。

実家は殺人ザメ養殖業を営んでいて、海外のリアルサメ映画ドキュメンタリー向けに殺人ザメを輸出している。日米でも求められるデスゲーム性に違いがあり、海外はゾンビやサメが主流だ。 「田舎で人食いザメを養殖して一生を終えるなんて嫌だ。歴史に残るデスゲームデザイナーになるんだ!」そういっておれは家を出て、零細デスゲーム会社に就職した。新卒の頃は「はじめは仲間同士の信頼関係を育んでおいて、あとから裏切りが横行する人間不信デスゲームをデザインしたいです!」と目を輝かせていたが、今では「密室に毒ガスを充填させておけばいいんだよ!」「回転のこぎり飛ばしておけ!」と、納期優先の低コストデスゲームばかりを設計するようになってしまった。 大手デスゲーム企業マスデス・コミュニケーションズは、「人間同士の絆を育む」「生きる命と意味を見いだす」といった企業理念を掲げて高品質のデスゲームを開発しているが、うちは零細デスゲーム会社なのでそんな大層な理念は無い。 かつて抱いていた希望も失われ、業務に忙殺されながら人気デスゲームの焼き直しばかりを作る日々に疲れ果てていた頃、母親から電話が掛かってきた。 親父が倒れた。殺人ザメの単価は安い。それでも親父はZ級サメ映画への愛ゆえに殺人ザメの養殖を続けてきた。おれは非合理的な生き方をしている親父が嫌いだった。儲かりもしないのに毎日長時間働いて、養殖している殺人ザメに命を狙われることも多い。長年の無理と経営難が祟り、入院することになった。残された殺人ザメは処分されるだろう。 親父の育てた殺人ザメは弱い。今は遺伝子編集で別の生き物と合体させたハイブリッド殺人ザメや、戦車がないと戦えない巨大ザメが人気だ。アメリカの国民性故か、大きくて強いサメが求められる。でも親父の殺人ザメはどこにでもいるサイズで殺意が高いだけだ。協力して弱点を突けば倒せるかも知れない。昔ながらのこだわりと言えば聞こえは良いが、くだらないロマンを追いかけて時代の流れに乗り遅れた。 そんな親父がおれは大嫌いだった。 「……今度のデスゲームは、婚活パーティ・恐怖の殺人ザメ水族館デートで行きたいと思います。殺人ザメから生き延びることで信頼関係を育み、誰が伴侶に相応しいかどうかを見極めるのが婚活デスゲームのコンセプトです」 おれがしたのは、ただの気まぐれだ。親父に育てられた殺人ザメたちが処分されるのは気の毒だと思ったし、今なら格安で買い叩ける。その打算が無かったとは言わない。 でも、思い出したんだ。子供の頃、親父はおれを映画館に連れて行ってサメ映画を見せた。怪獣映画の方が好きだったし、モンスターはデカくて格好いいほうがいい。親父がよく観る映画は、サメが登場するよりも人間が違いに責任転嫁して罵るシーンが多くて退屈だと思ったものだ。 そのときに親父は「殺人ザメよりも人間の方が怖いよな」と呟いたのを覚えている。極限状況で人間性が剥き出しになる。おれがデスゲームで信頼と裏切りにこだわっているのも、元々は親父の影響かも知れない。認めたくないけれども同じ血が流れていて、同じ癖を受け継いでいる。デスゲームとサメ映画は違っているようで似通っている。 半年後、親父は退院したが殺人ザメ養殖は廃業した。実家に帰省したときに親父は、サメ映画専門チャンネルでZ級サメ映画ばかりを観ていた。おれは親父に一通の手紙を渡した。殺人ザメ水族館デートの参加者が入籍して、会社に感謝の手紙が送られてきたのだ。親父は表情を崩さないまま手紙を読んで「そうか……」とだけ言った。 もう数年間、まともに会話をしていない。何を話せばいいのかもわからなかった。でも親父はその日から「何か面白いデスゲームはないか?」と尋ねてくるようになった。

・国営デスゲームに参加した日。

経済的な事情で自殺未遂をしたら、役所から「国営デスゲームに参加しませんか?」と言われた。生き残れば賞金が手に入るし、もし死んでも広告収入で葬儀費用が補填されるとのことだ。どうせ死ぬんだし、意味もなく自殺するよりかはデスゲームに身を投じて情けなく死のう。 自殺未遂をした人間、余命が残りわずかな者、犯罪者、もうなんか生きてるのがどうでもよくなった無敵の人。国からさっさと死んだほうがいい人間として認定されると、国営デスゲームへの参加許可が下りる。 日本の自殺者は年間数万人である。これを問題視した政府は「命を無駄にするよりも、デスゲームで死ぬはずだった命を再利用して収益を得る」という方向性に舵を切った。誰が生き残るのかに賭ける年末デスゲームくじが発売され、売り上げの一部が社会保障費として使われる。 娯楽に飢えていた国民は国営デスゲームに熱中した。安全なところで関係のない人間が死んでいくのを見るのは楽しい。カメラで阿鼻叫喚と命乞い、断末魔を聞きながら、視聴者は命の大切さを噛みしめる。 当初は非人道的だと非難されたが、戦争に比べたら犠牲になる人間の数は少ない。何万人もの命が失われる戦争に比べて、国営デスゲームの犠牲者は45人程度だ。50人が参加して、そのうちの約5人が生き残る。国営デスゲームは世界中に配信され、デスゲームくじの対象になり、莫大な広告収入が生まれ、デスゲームに参加していない数多くの人間が助かる。元々は自殺するはずだった命が有効活用されて社会に還元されるし、生き残れば人生をやり直せる賞金が手に入る。社会全体からみれば、国営デスゲームは紛れもなく公共の福祉に寄与するものだった。 僕が参加した一番目のデスゲームは「無敵の人(インビンシブル・マン)」。山手線の列車に閉じ込められた参加者は、機関銃で武装した犯罪者から狙われる。元になったのは山手線銃乱射事件で、デスゲームの題材は社会問題のトレンドに影響を受ける。一方通行の電車内で無敵の人を制圧するか、制限時間まで生き延びればゲームクリアだ。銃弾が尽きるまで別の誰かを犠牲にして時間を稼ぐ。生まれた隙に残った人間で一斉に畳みかけて取り押さえれば難しいデスゲームではない。 でも違和感が拭えない。簡単で安直すぎる。今年話題になったのは銃乱射事件だけではない。殺す人間が一人だと言うのは運営のミスリードではないのか? 確か年始に、満員電車内でガソリンをまき散らして焼身自殺を行おうとした事件があったはずだ。寸前の所で取り押さえられて被害は未然に防がれたが、運営がこの事件を知らないはずがない。 身動きが取れないままでは銃撃の餌食になる。奧に逃げれば1つの車両に集まった乗客がガソリン放火で一網打尽にされる。それが運営の思い描いた筋書きではないのか? 自分の身可愛さに他者を犠牲にする。その結果としてより苦しい死に方をする。 国営デスゲームデザイナーは趣味が悪い。最善に思われた「誰かを犠牲にしてでも生き延びる」選択が悪手だとしたら……? とはいえ、今は銃で武装した男をどうにかしなければならない。こちらは丸腰で戦う力はない。 おそらく相手は、山手線銃乱射事件で死刑判決を受けた富沢久人(36)。実際の事件では狩猟用のショットガンで武装していたが、今は国から支給された9mm機関けん銃を持っている。国営デスゲームに参加しても減刑されることはない。富沢は今もこの社会に絶望して、自暴自棄になって無差別殺人を繰り返そうとしている。 無敵の人は富沢だけではない。彼を説得し、場に冷静さを取り戻したあとに、参加者に紛れ込んでいるもう一人の無敵の人を見つける。それが最善策だと思った。だが、富沢に近づけば銃で蜂の巣にされるに違いない。死ぬのが怖い……? 一度、すべてに絶望して自殺未遂をしたのに、今更なにを恐れるというのだろう。 僕は自分を殺そうとして、富沢は他人を殺した。攻撃性が向かう方向は真逆だったが、僕たちは同じ失意と絶望を抱えていたんじゃないだろうか……? 一度捨てた命だ。このまま殺されても文句はない。僕は丸腰のまま銃を持った富沢の前に立った。逃げ惑う参加者とは違い、常軌を逸した行動に富沢が戸惑う。 「殺す前に、僕の話を聞いてくれよ。納得いなかったら引き金を引いてもいいからさ」 (続かない)

丑三つ時、ポピー横町を歩いていると見たこともないアバターが「いま、突発で臨時イベントやっているんですけど来ませんか?」と声を掛けてきた。 ポータルをくぐるとマンションのワールドに辿り付き、入り口でイベントの説明を受ける。「○○ちゃんの母親改変カフェ」のプレオープンイベントが開かれており、アニメでよく見るような、姉と間違われるタイプの母親アバターがキャストとして参加しているのだという。 マンションの303号室に案内される。部屋の中で待っていたのは、桔梗ちゃんの母親(37歳)だった。おれは近所に住んでいる男子高校生という設定で、娘の桔梗ちゃんとは同級生である。そういったロールプレイで接客が進む。 「晩ご飯、食べていかない?」と、桔梗ママが大根おろし和風ハンバーグを暖める。本来ならば旦那さんが食べるはずのものだったが、最近は急な仕事や飲み会で家を不在にすることが多く、無駄になってしまう。せっかくなのでおれは桔梗ママの手料理を食べた。 満腹で居眠りをしてしまったのだろうか? 目を覚ますとおれはソファに寝かしつけられていて、桔梗ママが馬乗りになっていた。 「旦那とはここ数年間、レスで……」 艶めかしい表情シェイプキーで桔梗ママが誘惑する。これはおれが望んでいる展開ではない。間男として人妻を寝取るシチュエーションのほうがおれは好きだった。怖くなって逃げだそうとしたが身体が動かない。桔梗ママがおれを捕食しようとする寸前にHMDのバッテリーが切れて基底現実に戻ってきた。 後日、同じワールドに行くと荒れ果てた廃墟があるだけだった。十数年も補修されないまま、今にも崩れ落ちそうになっている。同じワールドにいたユーザーに話を聞くと、彼の友人はX(旧Twitter)に「○○ちゃんの母親改変カフェに行ってくるわ!」と投稿したきり行方不明になっているのだという。

政治家の高齢化が社会問題になった日本。「アクセルとブレーキの区別も覚束なくなる後期高齢者に国の舵取りを任せられるはずがないだろ!」という常識的な理由により、政治家の若年化が求められた。当初は政治家定年制度が提案されていたが、既得権益の壁は崩せなかった。耄碌した老人は死ぬまで権力を手放そうとせず、妥協に妥協を重ね「政治家の平均年齢を下げる」ことで与野党が合意した。 平均値は魔法だ。ビル・ゲイツが離婚したせいでワシントン州の独身男性所得がいきなり500万になり、全人類の金玉を平均すると少なくとも一人一個は睾丸を持っている計算になる。 政治家の平均年齢を下げるために子供を国政に参加させればいい。女性なら国会議員の性別割合も改善されて言うこと無しだ。適当に人気のある芸能人をこども家庭庁のマスコットにでもしておけば、政権支持率も上がるだろう。その浅はかな判断によって日本の国政はメスガキ政治家に飲み込まれた。 世界初の女子小学生政治家、秋原ひなのちゃん(12歳)である。 生意気なクソガキとのハートフルコメディーで地上派デビューを果たし、歯に衣着せぬ言動と大人を馬鹿にした態度で一躍トップスターへと躍り出た。 動物番組「お茶の間ズーパーク」には、だめだめワンちゃんBeforeAfterというコーナーがある。ひなのちゃんがしつけのなっていないダメわんちゃんを調教してお利口な犬にするというものだ。端から見ると健全な動物番組なのだが、ひなのちゃんに罵られるダメ犬を本気で羨ましがる大人が大量に生み出されていた。現代社会の闇だ。 そしてついに!  政治家平均年齢法の施行によって秋原ひなのちゃん(12歳)が国政に進出した! ひなのちゃんのパパである秋原昭一は官僚トップであり、政界に最も近い芸能人であるひなのちゃんに白羽の矢が立った。 当初は「女子小学生に何ができる?」と高を括られていたが、国会デビューから彼女のメスガキ話術は全力全開だった。 クイズ番組で「大人のくせにそんなことも知らないんですねー?」と笑いながらなじってきたり、「こんなこともできないなんて、犬以下だね♪」と辛辣な言葉を容赦なく投げつけてきた、天性のメスガキセンスが高齢男性政治家たちに襲い掛かる。 「高学歴の大人が雁首並べて、何十年も経つのに生産性も賃金もろくに上げられないなんて、ザコすぎの無能じゃないですかぁ?」とか「宗教団体との会合を覚えていないなんて、本当に脳みそ空っぽなんですね」、「あれあれー? 図星だから怒っちゃったのかなー? ごめんねー」「官僚があらかじめ作成した原稿しか読めない、役立たず音読おじさん♪ 失言しちゃうから反論できずに顔を赤くして可愛いー♪」「何年経っても共闘できずに集合離散を繰り返す、烏合の衆のよわよわ野党♪ あ、でもカラスさんの方が頭がいいよね♪ ごめんね、カラスさん♪」 などのメスガキ国会討論により、男性政治家は与野党問わずにわからせられていた。 しかし一部の政治家はプライドを傷つけられ、「絶対にわからせてやる!」と奮起した。自分を馬鹿にしたメスガキを見返し、自分が無能のクソ雑魚大人ではないことを分からせるために、これまでにない速度での政治的・経済的な問題が解決されていった。 ひなのちゃんをわからせるためだけに日本経済が再生され、平均賃金と生産性が諸外国に追いつき、財政が健全化され、ジェンダーギャップ指数が世界上位まで急浮上した。イギリスのリベラル大衆紙はメスガキを「社会的な弱者になりがちな女性と子供をエンパワーメントし、マイノリティの政治参画を促す契機となった」と好意的に論評した。MesuGakiはジャパン・モデルとして世界各国に取り入れられ、今ではMesuGaki政治家は珍しくない存在になった。 時の流れは早い。ひなのちゃん(19)はもはや子供ではなくなり、オタクと国民に優しいギャル首相になっていた。 「おじさんたち、生意気なことを言ってごめんなさい……ひなの、大人がこんなにすごいなんて思わなかったの。……そんなこと、本気で言うと思った? ひなのに煽られて思い通りに動くなんて、おじさんたちって単純ー♪ ばぁーーかっ♪」  大人を馬鹿にしてごめんなさい謝罪会見のはずだったが、全ては彼女の手のひらで踊っているに過ぎなかった。

スマホとPCのデータを全てGoogleアカウントで同期させて、パスワードやデータのバックアップを取り、標準のブラウザーをChromeにする。気を抜くと「今すぐ無料でウイルスチェック!」の広告をクリックして謎のツールをインストールするようなITリテラシーなので広告ブロックも入れる。 ちなみにパスワードは平文でプリントアウトして、製品の保証書と一緒に保管させている。セキュリティとしては悪手なんだけど、これが一番わかりやすいんだ……。 これで完璧だ!と思っていたんだけど、Windowsが「Edgeが便利になったから使おうな! 親切なおれがデフォルトブラウザーにしておいてやったぜ!」と余計なことをして全てが台無しになる。 高齢者にあまりインターネットに触れて欲しくないと思っている。ろくでもないコンテンツに触れて陰謀論者になるぐらいなら、エンドレスで水戸黄門と釣りバカ日誌とワイドショーと刑事ドラマの再放送と時代劇韓流ドラマを見続けていて欲しい。 低クオリティなテレビ番組を観るぐらいならインターネットを使った方が生活が豊かになる。そう思っていた時期があるのだけど、酷さに下限のあるぶんテレビの方がマシだなって最近は思っている。 親がEdgeのトップページからウクライナ情勢を追っていた。最初は地上波のニュース映像だったので大丈夫だと思っていたんだけど、いつの間にか何処の馬の骨ともわからない軍事オタクがゆっくり音声でウクライナ情勢のうんちくを語る映像を観ていて肝が冷えた。 AIアルゴリズムのレコメンド次第では、1クリック先に陰謀論の世界に飛ばされる。Youtube広告も詐欺まがいのものが多いという記事を読んで、コンテンツも広告もインターネット上のあらゆるものを見せないほうがQOLを上げられるんじゃないのか? キッズ用に安全なコンテンツだけを表示するフィルターがあるけれども、それの老人版を作って、無害なコンテンツだけを垂れ流し続けてくれ……頼む……。

・マヌカ先輩とおれ

・マヌカ先輩とおれ(1) マヌカさん、バイト先のちびっこ先輩に思えて仕方がない。ちゃん付けすると怒る。二十歳だが酒を買うときにいつも年齢確認される。海に行くときに車を出してくれるが運転は荒い。おれが振られたとき、なんだかんだ言って終電間際まで慰めてくれた。ファンディスクで攻略ルートが追加される。(幻視)

・マヌカ先輩とおれ(2) また彼氏に振られて深酒をするマヌカ先輩。今日はいつもより飲酒のペースが早く、酔い潰れてしまった先輩を自宅で介抱する。(普段はうるさいけど、おとなしく寝ていると美人なんだよな……。というか今まで気がつかなかったけど、女の子を連れ込んでいないか?) そう思った矢先、おもむろに起き出したマヌカ先輩が自室のフローリングに吐瀉物をぶちまける。背中をさすりながら、残ったものをすべて吐き出させると、先輩はまた眠ってしまった。おれは「仕方の無い人だな……」と、何の疑問も持たずに床を掃除する。そんな午前4時半。

・マヌカ先輩とおれ(3) マヌカ先輩とはよく休憩中に映画やゲーム、マンガの話をするのだけど、思ったよりも話に食いついてきてくれる。でもそこに以前付き合っていた彼氏の影響を嗅ぎ取ってしまう。

・マヌカ先輩とおれ(4) 就職活動中にエントリーシートがお祈りされまくってメンタルが破壊されているときに、マヌカ先輩が優しく慰めてくれた。このときのおれはマヌカ先輩に精神的に寄りかかっている居心地の良さと恋愛感情の区別が付かなくなっていた。 「寄りかかるのが楽な人」だとおれは思ったし、そのときにこれまでマヌカ先輩の恋愛が長続きしない理由も分かってしまった。おれが心を弱らせて、マヌカ先輩に依存するほど彼女はおれを構ってくれる。 困っている人を見捨てられないお人好しなところが、クズ人間に利用される隙になっている。それを分かっていて、いまのおれはマヌカ先輩の優しさに甘えているだけだった。恋愛感情ではなくて、これは寄生虫が宿主に抱く感情と代わりがない。 でもおれのメンタルが持ち直すまでは、少しだけクズのままでいさせてくれ……。

・マヌカ先輩とおれ(5) 夜の渋谷区立宮下公園をマヌカ先輩と歩く。もうバイト先は辞めているので正確には先輩ではないのだが、癖が抜けずにマヌカ先輩と呼んでしまう。彼女は氷結グレープレモンを飲みながら、「まぁ人生の先輩みたいなものだし」という酔っ払い特有の思考回路で喋る。 マヌカ先輩は酔いが回ったのかベンチに座る。葉桜になりかけた木を見上げて、物思いに耽っている。あるいはもう思考回路が回っていないのかのどちらかだった。 「子供のころは葉桜なんて言葉は知らなくてさ。緑色になった桜だから〝みざくら〟って呼んでいたんだよ」 おれは葉桜の季節がやってくる度に、マヌカ先輩の言った〝みざくら〟という言葉を思い出す。